東京ドタバタ行脚の内訳。その3
というわけで前回の続きです。
今までの記事はこちら。
今回の東京行きはDM配布とギャラリー訪問以外は何も考えておらず、
一泊するかどうかもわからないような、帰りのチケットも取っていないような状況だった。
なかなか思うような行動ができず、結局友人の家に泊めてもらうことに。
二日目は世界堂や銀座のギャラリーを手当たり次第周り、がっつりDMを設置していただいた。しかし途中雨が降り出し、傘を持っていなかったので本当に困った…しかし途中寄らせていただいたギャラリーでは、DMを置いて頂けそうなところを教えていただいた。重い荷物を持ちながら、雨の中、足で稼ぐとは本当にこのことだと思った。
今回東京では久しぶりにお会いする人や、あのふくろうの絵の方ですねとか、実は人気投票、伊藤さんに投票しました!と声をかけていただくことが多かった。SNSを使い発信し続けているが、最近少しずつだがその結果が出てきいる。やっぱり発信し続けることが大事であると再確認した。営業は苦手だけど、自分ができることを言い続けることが営業なんだろうと思った。
何より、東京で出会ったみなさんは本当にウエルカムというか、受け入れてくださる方が多かった。こんなお願いしていいんだろうかと思っているようなことでもお願いしてみて、快く受け入れていただけたのは、自分の無理をお願いしているだろうなという気持ちは考え過ぎ、遠慮だったと教えてくれる貴重な経験だった。
これからは自分をもうちょっと深いところで変えていけるんじゃないのかと、あらたな発見がある東京旅行だった。
東京ドタバタ行脚の内訳。その2
というわけで前回の続きです。
前回の記事はこちら。
一つ目の目的地である山椿美術館では、最終日ということと、交流会があったためかたくさんの作家さんに出会うことができた。
前述のみみずくはありがたいことに男性、年配の方にとても気に入っていただくことが多かった。
あのふくろうの方ですよね!と声をかけていただくことも多く、なんだかふくろうが私の代名詞になるまであと少しのような気がした。
関西からはるばるやってきたぺーぺーの私をみなさんあたたかく迎えてくださったので、本当に感謝しかないなと今でも思う。
二つ目は4月の個展会場であるドラードギャラリーへ。
DMの納品と、28日から始まる小さな絵の大展覧会の鑑賞のためだ。
制作したDMはこちら。
こちらでは初日ということもあり、たくさんの懐かしい方たちと再会することができ、山椿美術館から流れてきた方もいて新たな縁も繋がった。
山椿での搬出を済ませたので、持っていた作品をオーナーに見ていただく機会があり、多くのアドバイスと気づきもいただいた。オーナーのアドバイスは自分が思う方向性から大きく外れることもなく、うなづくことばかりだったので、いい意味でこれから作品が変化しそうな予感がする。
きっと今が変わるタイミングなのだろうと実感した。
またまた長くなりそうなので次回に続きます。
東京ドタバタ行脚の内訳。その1
久々の更新。
2月は体調を崩したりバタバタとしていた。体調管理も仕事のうちということを痛感したひと月だった。まだまだだな、自分!
そんななか、2月末に東京へ行ってきた。
目的は高円寺の山椿美術館で行われているグループ展が最終日であるので観覧することと、ドラードギャラリーで小さな絵の大展覧会の初日であることと、同ギャラリーで4月に控えた個展のDMが完成したのでそれを配布するためだ。
これまた段取り不足で東京でDMと名刺を受け取り、まずは山椿美術館へ。
SNSというバーチャルで繋がった方々にリアルでお会いすることができた。こういう出会いはSNSを始めたころからあったので慣れてはいたが、実際お会いしたみなさんは本当に気持ちのよい方ばかりだった。
この絵を出展したが、男性の方や年配の方に気に入っていただくことができた。
絵を描いている時は、このミミズクに「おまえはまだくすぶってるのか」とお叱りを受けている気分になっていたが、この絵を見た何人かの男性にもそれに近い感想を持ってくださっていたのがおもしろいなと思った。
今回の絵は癒すというよりは叱咤激励するようなイメージで、見ているとほっとするというよりは、さあ自分、なにやってんだ?今すぐやらろう、という気持ちになってもらえたらと思って出展を決めたのだが、少なからず届くべきひとには届いたようだ。
タイトルはふくろうの奨めなので、もしよかったらこちらも記事にしているので覗いてみてほしい。
実際お会いする方に自己紹介するなかで、自分の絵を描く理由を何度も口に出した。好きでやっているというのは大前提だが、その次に浮かぶのはやはり絵のあるところをパワースポットにしたい、ということだった。ブログもフェイスブックもそうだが、アウトプットする、発信する癖をつけること、そうするなかで自分の意志も明確になり、簡潔にまとめる力もついてくるのだなと感じた。
長くなるので続きます。
チョコレート研究所のロゴを制作しました
実は会社員時代の約7〜8年間は、ほとんどDTP作業に従事していました。
一人でなんでもできる人に憧れていたので、自分でデザインをして空いたスペースに絵も描いていたわけです。
実はデザイン業務がどうしても好きになれず、デザインを好きでやっていて、それ一本でやっている人にはかなわないなあと思ってデザイナーを諦めたんですね。でもそんな経験が、今もこうして仕事として繋がっているので、無駄なことはなにひとつないと思うわけです(^^)
そんななか、先週からデジタルの仕事が多く、着々と納品できてほっとしています。
今回は染川ちひろさんのお店、大阪西区の新町にあるカフェ、チョコレート研究所のロゴを作らせていただきましたのでご報告です♪
ちひろさんご本人は、カカオを現地まで採りに行くほどのこだわりをもった方なので、チョコレート好きにはオススメのお店ですよ!試験管とカカオと白衣を描くことで、店名であるチョコレート研究所をすぐに連想できるようなものを心がけて作りました。
1/28はおはよう朝日にも出演されるそうなので、関西のみなさんはチェックしてみてください(^^)
阪神大震災から21年目
ふと今日、目が覚めると5:46だった。
最近早起きではあるが、阪神淡路大震災から21年めの今日、この時間に目覚めたのは何か意味があったのだろうか。
私は母のお腹の中にいた時、一度死にかけている。
21年前のこの日も、家中のタンスが倒れてきたが、タンスとタンスの間にできた隙間にすっぽり収まったため、無傷だった。
家にいた家族は無事だったが、家は半壊、近くに住んでいた祖母はなくなった。
生まれる前も、21年前も、死ぬような場面に遭遇しながらも私は死ななかった。
それは、この世で何かをしたいからという思いが無意識にあったのかもしれない。現にこの時期くらいから、生まれてきたことにはきっと意味があるのだろう。でもそれはなんだろう?と考えることが増えてきた。二十代のOL時代、周りに不満ばかり言って過ごしていた時期もあったし、一年くらい無職の時も、なんとなくこの世に生まれてきた意味を考えていた。このままでいいのだろうか、と。
最近、絵を描いて生きて行く、そう腹を括ってから、徐々に周りの見え方が変わってきた。自分で責任を取る生き方をすれば、問題が起きても理由がわかるし、必要以上に相手を責めることもなくなった。嫌いな人もいなくなった。周りがどうかではなく、自分がどうであるか。それだけで、世界が変わることがわかった。世界がおそろしいものになるか、優しいものになるかは自分のこころのありかた次第なのだ、
その中で自分を知り、やりたいことをやる、それは自分を満たすことであり、周囲に貢献できることにつなかまるのではないか。それが私の生まれてきた意味ではないかと、最近強く思うようになった。
体が自由に動く時間は限られている。
限られた時間を大切にし、生きている間はできる限りのやりたいことをしようと思う。