とある画家のアトリエ

動物たちにストーリーを与える絵描きの活動記録

うちの場合

20代前半から30代はじめにかけて、どういうわけか家庭に重いトラブルを持つ人ばかりが周りにいた。


うちといえばモラハラの父とそれに反するように子を溺愛する共依存の母がいて、機能不全傾向の家庭ではあったが、兄も私もなんとか道を外さず生きてこれたので、まだ傷が浅い方だと思っている。


「普通の家庭」「普通じゃない家庭」は人それぞれによるもので、これといった基本になるような尺度はないと思っているのだが、それを考えたときあるカウンセラーがブログか何かに書いていた言葉がよみがえる。それは「夫婦の仲がよければ子供はすくすく育つ」といったニュアンスのものだ。

 

確かに、私はキレまくって喧嘩ばかりしていた親を見て育ってきた。話し合いで解決しているところなど見た事がなかった。父は家族に対して聞く耳を持たず上から押さえつける人間だし、母は年がら年中父の愚痴を私に言っていたような気がする。それも私の脳内が脚色した記憶なのかもしれないが、そのおかげで世の男性はみんなそういうものだと思っていたのは確かだし、話し合いで解決できる夫に出会ったことがある種のカルチャーショックのようなものに感じた。

 

今までの経験があるからそのカウンセラーのコメントを見ると、なるほどそうかもしれないと思うのだ。もし母と父がお互いを気遣い合ったり褒めている記憶がたくさん残っていたら、子供の私は家庭に関して何も心配することはなかっただろし、子供だった自分は大人のように気を回さず、そういった気の遣い方をする必要もなかったと思う。私は子供の頃から負けん気だけは強かったので、父にも母にも飲まれることがなかったが、繊細で打たれ弱い子どもだったらどうなっていただろうかと思うと恐ろしい。

 

長年愚痴や悩みをよく聞かされていたわたしが思うのは、実際渦中にある時には相手の事を責めたくなるのもわかる。しかしその相手にも言い分があることを忘れてはいけないということ。特に家庭のこととなると、逃げられないのは子供だと感じている。解決方法を外に求めるのはあくまできっかけを探すことであり、それは本当の解決策ではないのではないだろうか。そのきっかけをもとに優先順位を組み立てていくと、自ずと選ぶ道は見えてくるような気がしている。

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