とある画家のアトリエ

動物たちにストーリーを与える絵描きの活動記録

選択の自由

人には選択の自由があるらしい、と聞いた。

 

この選択の自由というものに対しては、神様でも入り込めない領域だそうだ。神様と呼ばれる存在ですら、人間の意思に入り込み、思うがままに操ることはできないという。私にはこれだと思う経験も知識もないので、その話が本当なのかはよくわからない。

 

ただ、この話を聞くと思い出すことがある。両親は某宗教の信者であり、私は物心つく前から理由もわからずやらされていることに違和感があった。その宗教の教えだけが正解で、他は間違っている、というような考え方の父にどうしても馴染めず、中学生のころにそういった集まりに行きたくないという意思を伝えた。

このことは、子供ながらに「私だけが正しく他は間違っている。」という思想がおかしいのではないかと思い始めるきっかけになった。

 

他にも、社会人になってからも変な噂を立てられたり、SNSでもありもしない話を作られ爪弾きにされたことを思い出す。その時は悲しみを通り越して怒り狂ったわけだが、しばらくしてから思ったことがある。怒り狂ったということこそが「私だけが正しく他は間違っている。」という、子供のことから嫌悪していた考えにはまってしまっていたのではないだろうか、と。

 

どれだけこちらが真実を知っていてそれを主張したとしても、周りがどう判断するかはわからない。主張したことでこちらがおかしいと思われることだってあるだろう。その逆で、もしかしたらこちらが与えられた情報を鵜呑みにし、まんまとだまされおかしな方向を向いて、真実を見ることができなくなっていることだってあるかもしれない。でもそれは、たとえ誰かの嘘やコントロールが混じっていたとしても、本人たちの意思で判断をしたことなら、良いも悪いもないのだと思う。それこそ、その人の自由なのではないだろうか。

 

そんなことを考えていると、人を責めることや正論を振りかざすことは減ってきた。
何が本当で何が嘘なのか、これでいいのか間違っているのかと迷うこともあるけれど、常に自分の選択を振り返り、大声で自分のやったことを人に言えるような自分であることぐらいしか、今の自分にはできないなと思う。

f:id:knkitwo:20170627105648j:plain